八重衣 石川勾当作曲、詞:小倉百人一首より
君がため春の野に出でて若菜つむ、わが衣手に雪は降りつつ
春過ぎて夏来にけらし白妙の、衣ほすてふ天の香具山
み吉野の山の秋風さよ更けて、ふる里寒く衣打つなり
秋の田の刈穂の庵の苫を粗み、我が衣手は露に濡れつつ
きりぎりす啼くや霜夜のさむしろに、衣片敷き独りかも寝ん
衣片敷き独りかも寝ん
八島 藤尾勾当作曲、詞:謡曲「八島」より
釣りのいとまも波の上、霞わたりて沖ゆくや、海人の小舟のほのぼのと、見えてぞ残る夕暮れに、浦風さへも長閑にて、しかも今宵は照りもせず、曇りもやらぬ春の夜の、朧月夜に如(し)くものはなし
西行法師の嘆きとて、月夜は物を思はする、闇は偲ぶによかよか、うななぜ出たぞ、来そ来そ曇れ、また修羅道の鬨(とき)の声、矢叫びの音震動して、今日の修羅の敵は誰ぞ、なに能登守教経(のりつね)とや、あら物々しや手並みは知りぬ、思ひぞ出づる壇ノ浦の、その船戦(ふないくさ)今ははや、閻浮(えんぶ)に返る生き死にの、海山一同に震動して、船よりは鬨の声、陸(くが)には波の盾、月に白(しら)むは剣の光、潮に映るは兜の星の影、水や空々、行くもまた雲の波の、打ち合ひ差し違ふ船戦の駆け引き、浮き沈むとせし程に、春の夜の波より明けて、敵と見えしは群れ居る鴎、鬨の声と聞こえしは浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにけり
八千代獅子 初世藤永検校移曲、原曲は尺八本曲、作詞者不詳
いつまでも、変はらぬ御代にあひ竹の、代々は幾千代、八千代ふる
雪ぞかかれる松のふたばに、 雪ぞかかれる松のふたばに
夕顔 菊岡検校作曲、作詞者不詳
住むやたれ、訪ひてや見んとたそがれに、寄する車のおとづれも、絶えて床しき中垣の、隙間求めて垣間見や、かざす扇にたきしめし、そらだきもののほのぼのと、主は白露光をそへて
いとど栄(は)えある夕顔の、花に結びし仮寝の夢の、さめて身にしむ夜半の風
夕辺の雲 光崎検校作曲、清水某作詞
憂しと見るも月の影、嬉しと見るも月の影、薄雲たなびきて、心の色ぞ仄めく
ゆかり嬉しき面影、引き留めし袖の香、忘られぬ情に、あはれを知るもことわり
逢ふごとに時雨して、深く染むるもみじ葉吹き散らす山風、心なきもうらめし
夜もすがらつくづくと、ありし世のこと思ひ寝の、夢に見ゆる面影
如何にして我がねやへ来ることの嬉しさ、はかなくも夢さめて、かすかに残るともしび
夢に見しふしども、覚めて寝ねたるふしども、変らぬぞ恋しき、さめて姿のなければ
まぼろしの姿も、夢路ならではいかで見ん、絶えてかはさぬ言葉も、梓にかけて交はさん
ゆき 峰崎勾当作曲、流石庵羽積作詞
花も雪も払へば清き袂かな、ほんに昔のむかしのことよ、我が待つ人は我を待ちけん、鴛鴦(をし)の雄鳥(をとり)に物思ひ羽(ば)の、凍るふすまに啼く音もさぞな、さなきだに、心も遠き夜半の鐘
聞くも淋しきひとり寝の、枕に響く霰(あられ)の音も、もしやといっそせきかねて、落つる涙のつららより、辛き命は惜しからねども、恋しき人は罪深く、思はぬ事の悲しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら
熊野(ゆや) 山田検校作曲、詞:謡曲「熊野」より
(花前に蝶舞ふ紛々たる雪、柳上に鶯飛ぶ片々たる金、花は流水にしたがって香の来たること疾し、鐘は寒雲を隔てて声の至ること遅し)
清水寺(せいすいじ)の鐘の声、祇園精舎を現はし、諸行無常の声やらむ、地主権現(ぢしゅごんげん)の花の色、沙羅双樹の理なり、生者必滅の世の慣(な)らひ、げに例(ためし)あるよそほひ、佛も元は捨てし世の、半ばは雲に上見えぬ、鷲のお山の名を残す、寺は桂の橋柱
立ち出でて峰の雲、花やあらぬ初桜の、祇園林下河原、南をはるかに眺むれば、大悲擁護(おうご)の薄霞、熊野権現の移ります、御名(みな)も同じ今熊野(いまぐまの)、稲荷の山の薄紅葉、青かりし葉の秋、また花の春は清水の、ただ頼め頼もしき、春も千々の花盛り山の名の、音羽嵐の花の雪、深き情けを人や知る
(熊野)「わらはお酌に参り候ふべし」
(宗盛)「いかに熊野、ひとさし舞ひ候へ」
深き情けを人や知る
(熊野)「なうなう俄に村雨のして花を散らし候ふはいかに」
(宗盛)「げに只今の村雨に、花の散り候ふよ」
(熊野)「あら心なの村雨やな、 春雨の、降るは涙か、降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ人やある」
(宗盛)「由ありげなる言葉の種」
取り上げ見れば、
(熊野)「いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東(あづま)の花や散るらん」
(宗盛)「げに道理なり、あはれなり、はやはや暇(いとま)取らするぞ、東に下り候へ」
(熊野)「なにお暇と候ふや」
(宗盛)「なかなかのこと、疾く疾く下り給ふべし」
(熊野)「あら嬉しや尊やな、これ観音の御利生(ごりしょう)なり、これまでなりや嬉しやな、これまでなりや嬉しやな、かくて都にお供せば、またもや御意の変はるべき、ただこのままにお暇」
と木綿(ゆう)つけの鳥が鳴く、東路(あづまぢ)さして行く道の、やがて休らう逢阪の、関の戸ざしも心して、明け行く跡の山見えて、花を見捨つる雁金の、それは越路、われはまた、東に帰る名残かな、 東に帰る名残かな
四つの民 松浦検校作曲、赤尾某作詞
限りなく静かなる代や、ふく風のなこその関の山桜、鎧の袖に散りかかり、花すり衣みちのくに、駒を進むも君がため、弓を袋にすきくわや、案山子(かかし)を友と野辺の業(わざ)、菜摘み水引き、みつぎ取り、薪をかたにかしこなる、木の間の月を楽しみて、山路のうきを忘れめや、雨露霜をしのぐ身の、たくみは炭とかねてより、大宮造り殿造り、烏帽子素袍(すはう)も華やかに、賎が軒端もたてつづき、錦織るてふ機(はた)ものの、夜寒むいとはじ綾どりの、きぬ
染めて貴賎の色わかぬ同じ眺めは白妙に、雪は一入(ひとしほ)きぬぎぬの、情あきなふすぎはひに、姿言葉は賎しくて、心計りは皆やさしかれ
夜々の星 光崎検校作曲、皆川淇園作詞
玉くしげ、二たび三たび思ふこと、思ふがままに書き付けて、見すれど海人の潜(かづ)きして、かるてふそこの海松布(みるめ)にも、ふれぬをいたみ頼みにし、筆にさへだに恥づかしの、軒の忍に消えやすき、露の身にしもならまほし、ならまく星の光すら
絶えてあやなくなるまでも、八夜九夜(やよここのよ)と思ひ明かし、雲居を眺め術(すべ)を無(な)み、袖の雫にせき入るる、硯の海に玉や沈めん