萩の露 幾山検校作曲、霞紅園作詞
いつしかも、まねく尾花に袖触れ初めて、我から濡れし露の萩、今さら人は恨みねど、葛(くづ)の葉風のそよとだに、音づれ絶えて松虫の、ひとり音に鳴くわびしさを、夜半に砧の打ちそへて、いとど思ひを重ねよと、月にや声は冴えぬらん
いざさらば、空行く雁に言問はん、恋しき方に玉章(たまづさ)を、送るよすがのありやなしやと
花の雲 初世山勢松韻作曲、工藤春江作詞
立ち初むる、霞の衣春著(し)るき、許しの色の由縁(ゆかり)ある、名さへ懐かし菖蒲形(あやめがた)、その琴の緒の十余り、三年(みとせ)の昔偲ばるる
思い出づれば如月や、望(もち)の夜待たで朧げに、入りにし月の顔ばせを、おぼつかなくも今もなほ、眺めやらるる大空は、恋しき人の形見かは、残んの雪の故郷の、越路(こしぢ)へ帰る雁がねも、花の雲間に影見えて
少女(をとめ)ども、少女さびすも唐(から)玉を、袂に纒(ま)きて乙女さびすも
袖打ち返し打ち返し、舞ひ遊びしはかしこくも、音に聞こえし滝の宮、それは吉野の大和琴、これは筑紫(つくし)のことふりし
千代のかみつ代豊(よとよ)国や、豊栄(とよさか)登る朝日子の、彦(ひこ)の山辺にひき初(そ)めて、幾代栄えむ松が枝に、通ふ常磐の家の風、尽きぬ調べぞ楽しかりける
花の旅 峰崎勾当作曲、油屋茂作・秤屋九兵衛作詞
春風になびく姿や浅緑、好いた仕打ちに誘はれて、思ひ立つ名の出口の柳、都を過ぎてここかしこ、八町三所(みどころ)かきちらす、ひと風かはる大津絵の、七つ道具の武蔵坊、かたい石場の間より、ぬるりぬるりと瀬田鰻、長い旅路を踏み分けて、草津の里の姥(うば)が餅、つくづく杖の下くぐる、目川(めがは)の水の忍ぶ恋、なんぼ石部のお前でも、心たがはずその手くだ、座敷さわぎをかこつけて、踊り子汁は水口(みなくち)に、うまい首尾ぢゃと登りあふ、坂は照る照る鈴鹿と合ひの、あいの土山雨にしっぽりと、大竹小竹坂の下、心のたけはつくされぬ、筆捨て山のその中を、関にせかるる椋本(むくもと)の、娘心の一筋に、津の町通る阿弥陀笠、人目かまはぬ旅の空、雲津(くもづ)の河を高からげ、又の泊まりは松坂と、黄楊(つげ)の櫛田も通り過ぎ、かみに油の口上手、煙草入れ売る小林屋、おじもおばばも買うてゆく、数はつもるに限りなき、神の恵みの山田へ
春の曲 吉沢検校作曲、詞:古今和歌集より
鶯の谷より出づる声なくば春来ることを誰か知らまし
深山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜摘みけり
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
駒なべていざ見に行かんふるさとは雪とのみこそ花は散るらめ
我が宿に咲ける藤なみ立ちかへり過ぎがてにのみ人の見るらん
声絶えず鳴けや鶯ひととせにふたたびとだにくべき春かは
船の夢 菊岡検校作曲、酒井某作詞
焦がれこがれて逢瀬はひろふ、楽しむ中に何のその、人目づつみのあらばこそ、嬉しい世界に住みなれて、流れ渡りの舟の内、それも浮世ぞかへるにも、知らじと啼きて不如帰(ほととぎす)、行方いづくと白浪の、夜の筵(むしろ)に思ひ寝の、夢をうつつに驚かす(驚きて)、風は涼しき楫枕
冬の曲 吉沢検校作曲、詞:古今和歌集より
龍田川錦おりかく神無月時雨の雨をたてぬきにして
白雪の所もわかず降りしけば巌にも咲く花とこそみれ
み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせず
きのふといい今日と暮して飛鳥川流れて早き月日なりけり
郭公(ほととぎす) 山田検校作曲、作詞者不詳
夏の夜の、明るく間(ま)早み仮初めに、見るほどもなき月影を、惜しむとすれど寝(い)ね難(がて)の、枕に託(かこ)つほどをさへ、絶えて忍べど訪れぬ、憂しや辛さの人ならば、恨みも果てむかにかくに、雲井に遠き待乳山(まつちやま)、心関屋(せきや)の里吹く風に、雨もつ空の五月闇(さつきやみ)、闇は綾瀬の川舟に、浮き寝しつつも聞かまほし
かくばかり、待つとは汝(なれ)も白鬚(しらひげ)の、森の下露草ぐさに、世の雅び男(お)の憧れて、君待つ夜半に変はらぬは、ただ一声のほととぎす
時鳥(ほととぎす) 楯山登作曲、 詞:古今和歌集より
我が宿の池の藤なみ咲きにけり、山ほととぎすいつか来啼かん
去年(こぞ)の夏、啼き古してしほととぎす、それかあらぬか声の変はらぬ
いまさらに、山へ帰るなほととぎす、声のかぎりは我が宿に啼け、
声のかぎりは我が宿に啼け