玉川 国山勾当作曲、穂積頼母作詞
山城の井手や見まじと駒止めて、なほ水かはん山吹の、花の露そふ春も暮れ、夏来にけらし見渡せば、波の柵(しがらみ)かけてけり、卯の花さける津の国の里に、月日を送るまに、いつしか秋に近江なる、野路には人の明日もこん、今を盛りの萩越えて、色なる浪にやどりにし、月のみ空の冬ふかみ、雪気(ゆきげ)もよほす夕ざれば、汐風越して陸奥(みちのく)の、野田に千鳥の声淋し、ゆかし名だたる武蔵野に晒す
晒す手作りさらさらに、昔の人の恋しさも、今はたそひておく山の、その流れをば忘れても、汲みやしつらん旅人の、高野の奥の水までも、名に流れたる六つの玉川
玉の台 松浦検校作曲、堂上方某作詞
玉の台(うてな)も恋ひ慕ふなみだ川、我が身しづめて逢瀬(あふせ)のあるなら、恋にやんさ捨てばや、恋は仇なものな
ひと村雨に立ち寄る宿の、名残は哀しきに、ましてやこれは浅からぬ契りあるに、ささんせ盃を、飲まふ酒を
竹生島(生田) 菊岡検校作曲、作詞者不詳(伝,東都某)
去るほどに、是はまた勿体なくも竹生島、弁財天の御由来、委しく之をば尋ぬるに、津の国難波の天王寺、仏法最初の御寺(みてら)なり、本尊なにかと尋ぬるに、正面童子の庚申(かのえさる)、聖徳太子の御建立、三水四石(さんすゐしせき)で七不思議、亀井の水の底清く、千代に八千代にさざれ石、巌となれや八幡山、八幡に八幡大菩薩、山田に矢橋(やばせ)の渡し守、漕ぎ行く船から眺むれば、女波男波(めなみおなみ)の絶間より、左手(ゆんで)に高き志賀の寺、右手(めで)は船路(ふなじ)でかた男波、沖なる遥かを見渡せば、昔聖人のほめたまふ、余国に稀なる竹生島、孝安天皇の御代のとき、頃は三月十五日、しかもその夜はつちのとの、己(み)を待つ辰の一天に、二股竹を相添へて、八声(やごゑ)の鳥と諸ともに、金輪奈落の底よりも、揺ぎ出でたる島とかや、さるによって鳥居にかげし勅額は、竹に生まるる島とかく、これ竹生島とは読ますなり、弁財天は女体なれど、十五童子のそのつかさ、巌に御腰(みこし)をやすらへて、琵琶を弾じておはします
竹生島(山田) 千代田検校作曲、詞:謡曲「竹生島」より
頃は弥生の半ばなれば、波もうららに海の面(おも)、霞み渡れる朝ぼらけ、静かに通ふ船の道、げに面白き時とかや、いかにあれなる船に便船(びんせん)申さうなう、おう召され候へ、嬉しやさては迎ひの船、法(のり)の力と覚えたり、今日は殊更(ことさら)のどかにて、心にかかる風もなし、山やまの春なれや、花はさながら白雪の、降るか残るか時知らぬ、峰は都の富士なれや、なほ冴え返る春の日に、比良の根おろし吹くとても、沖漕ぐ船はよも尽きじ、旅の慣らひの思はずも、雲井のよそに見し人も、同じ船になれ衣、浦をへだてて行くほどに、竹生島にぞ着きにける
承り及びたるよりも、いやまさりてありがたし、ふしぎやな此の島は、女人禁制(にょにんきんぜい)と承りてありしが、あれなる女人は何とて参られ候ふぞ、それは知らぬ人の申すことなり、かたじけなくも此の島は、九生如来(きゅうしょうにょらい)の御再誕なれば、誠に女人こそ参るべけれ
なうそれまでもなきものを、弁財天は女体にて、その神徳もあらたなる、天女と現じおはしませば、女人とて隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり、実(げ)にかほど疑ひも、荒磯島の松陰を、便りに寄する海人小舟、我は人間にあらずとて、社壇(しゃだん)の扉を押し開き、御殿に入らせ給ひければ、翁も水中に入るかと見えしが、白波の立ち帰り、我はこの海の主(あるじ)ぞと言ひ捨てて、またも波に入り給ふ、不思議や虚空に音楽聞こえ、花降り下る春の夜の、月に輝く少女の袂、かへすがへすも面白や
夜遊の舞楽もやや時過ぎて、月澄み渡る海づらに、波風しきりに鳴動(めいどう)して、下界の龍神あらはれ出で、光も輝く金銀珠玉を、かの賓人(まれびと)に捧ぐるけしき、ありがたかりける奇特(きどく)かな
稚児桜 菊武祥庭作曲、詞:文部省国定小学校教科書より
鞍馬の寺の稚児桜、咲けや四海に薫るまで、昼は読経つとむれど、暮るれば習ふ太刀剣、思ふ源氏の再興を、天満宮に祈らんと、夜毎に渡る五条橋、笛の音高く夜は静か、思ひもよらず傍(かた)へより、出でてさへぎる大法師、太刀を賜へと呼ばはれば、太刀をほしくば寄りて取れ
さらば取らんと打ち振るふ、長刀遂に落されて、今はひたすら降参の、まこと表はす武蔵坊、さては汝は弁慶か、牛若君にてましますか、主従の契り深かりき、鏡は清し加茂の水
千箱の玉章 山田検校作曲
常磐なる、松を浸せる千歳川、月も夕べの品定め、桂男(かつらをとこ)の俤(おもかげ)ゆかし、見初めてそめて染めかかる、立田姫とは浮気ばかりの色かえ、つゆの間も忘ら恋慕の仲々は、去(い)にし驪山(りさん)の春の苑(その)、ともに詠(なが)めし花の色、その言の葉も妹背鳥、夫婦(みょうと)の枝と言ひ川島の、水も洩(も)らさぬ誓詞(せいし)の数を、筆に誓ひし墨色の、濃い仲浮名の種を巻紙に、愚痴のありたけ文(ふみ)枕、文が遺(や)りたや室の津の君へ、君が投節投文投げて、口説き文、夜毎に通ふ神かけて、ほんにとりなりよい封じ文、一寸(ちょっと)こなたへ雁の文、祈り参らせ候(そろ)かしく、文も見ずとは橋立ての道よ、道の切とて切れ文いやよ、誓ひ文、いよし御見(ごげん)と書いたるは、絆(ほだし)の種か縁結び文、紅葉分けつつ鹿の文、思ひ参らせ候かしく、止めて嬉しき大和文字、かへすがへすもめでたけれ、君は千代在(ま)せ八千代在せ、なほ色増すや万歳楽(ばんぜいらく)、千箱の玉章奉る、これぞ久しき貢ぎかな
千鳥の曲 吉沢検校作曲、詞:古今和歌集、金葉和歌集より
しほの山、さしでの磯に住む千鳥、君が御代をば八千代とぞ啼く、 君が御代をば八千代とぞ啼く
淡路島、かよふ千鳥のなく声に、幾夜寝覚めぬ須磨の関守、 幾夜寝覚めぬ須磨の関守
茶音頭(茶の湯音頭) 菊岡検校作曲、詞:横井也有作「女手前」より
世の中に、すぐれて花は吉野山、紅葉は竜田、茶は宇治の、都の巽(たつみ)それよりも、廓(さと)は都の未申(ひつじさる)、数寄(すき)とは誰が名に立てし、濃茶の色の深緑、松の位にくらべては、囲ひと云ふも低けれど、情けは同じ床飾り、飾らぬ胸の表裏、帛紗(ふくさ)捌(さば)けぬ心から、聞けば思惑(おもわく)違棚(ちがひだな)、逢うてどうして香箱(こうばこ)の、柄杓の竹は直(す)ぐなれど、そちは茶杓のゆがみ文字
憂さを晴らしの初昔、昔ばなしの爺婆(じじばば)と、なるまで釜の中さめず、縁は鎖の末長く、千代万代(ちよよろづよ)へ
長恨歌 山田検校作曲、作詞者不詳(伝,高井薄阿)
今は昔、唐(もろこし)に、色を重んじ給ひける帝(みかど)おはしましし時、楊家の娘かしこくも、君に召されて明け暮れの、御愛(いつく)しみ浅からず、常に傍らに侍(はんべ)りぬ、宮の内の手弱女(たおやめ)、三千の寵愛も、我が身ひとつの春の花
散りて色香も亡き魂(たま)の、在処(ありか)を尋ね水馴竿(みなれざお)、差してはるばる行く船に、方士(ほうし)は波の浮き寝する、常世(とこよ)の国に来てみれば、楼閣玲瓏(ろうかくれいろう)として、五雲(ごうん)起これり
うちに艶(なま)めく女(め)の童(わらわ)、ことに優れて玉真(ぎょくしん)の、姿はいづれ梨花一枝(りかいっし)、雨を帯びたるそのけはひ、見るよりそれと言の葉も、涙(なんだ)こぼれて欄干(らんかん)を、浸すもいかに馴れ染めし、驪山(りさん)の昔思ひやる、あら懐しの都人、恥づかしながら在りし世の、その睦言(むつごと)も消え果つる、露の契りの憂さ晴らし、言うてみよなら一方(ひとかた)に、思(おぼ)し召すかや深き江に、春の氷の薄きはいやよ、思ひ逢ふ夜はうちとけて、寝乱れ髪をそのままに、とり繕(つくろ)はぬ女気(おなごぎ)を、可愛(かあゆ)がらんせ烏羽(からすば)の、色にこの身を染め糸の、結び目かたき語らひも、縁尽きぬれば徒らに、またこの島に帰り来て、なほ懐かしき古(いにし)へを、思ひ出づればあはれなる、そよや霓裳羽衣(げいしょううい)の曲
稀(まれ)にぞ返す少女子(をとめご)が、 稀にぞ返す少女子が
袖うち振りし心知りきや、さるにても、君にはこの世逢ひ見んことも蓬が島つ鳥、憂き世なれども恋しや昔、恋しや昔の物語、尽くさば月日も移り舞の、しるしの釵(かんざし)賜(たまは)りて、都に帰る家土産(いえづと)は、文にも増さる文月の、七日(なぬか)の夜半の私語(ささめごと)、比翼連理(ひよくれんり)も今ははや、離(か)れ離(が)れなりし憂き契り
天(あめ)の長(とこしな)へなるも、地(つち)の久しく旧(ふ)りぬるも、尽くる時あり、この恨み、綿々縷々(めんめんろうろう)として絶え間なく、今に残せし筆の跡
千代の鶯 光崎検校作曲、本多平右衛門作詞
悦びの眉を開きて天の戸の、ひと夜明くれば春立つや、霞たなびく東山、前の流れは底清く、加茂の川瀬の曙の、寝耳に水の幸ひを、告げてや遊ばん百千鳥の、友呼び集ふ笹舟を、つなぐ縁(えにし)の親しみも、下(しも)の新地の麗しさ
柳桜のたぐひなく、わきて我が住む軒ごとの
飾り絵ならぬ花のゑに、万代呼ばう鶯の声
椿尽 松松島検校作曲、洲浜作詞
つらつら椿春秋の、名は千里まで鷹が峰、その本阿弥(ほんなみ)の花の色、白きを後(のち)のうつし絵も、いかで及ばん妙蓮寺、薄くれないに濃き紅は、同じ花形(かきょう)の因幡堂(いなばだう)、まだきしぼりの秋の山、嵯峨初嵐身にしみて、露時雨降る頃よりも、好きもて遊び埋火(うづみび)の、春にうつれば天が下、賑ふ民の煙立つ、それは塩釜千賀の里、汐汲む海女の腰蓑(こしみの)の、あづまからげや吾妻路や、清洲の里の散り椿、咲きも残さぬ角の倉、薮の中なる香のもの、朴庵、侘助(わびすけ)、唐椿、八千代尽きせぬ花の数
摘草 菊原琴治作曲、市田瓢々作詞
長閑(のどけ)さや、雲雀も歌ふ弥生空、すみれたんぽぽ菜の花に、ひらりひらりと蝶の舞ふ、袖も軽げや乙女子の、心つくしも愛らしく、待つ小鳥にも一束の、家づとにせんはこべ草
嫁菜五形(ごぎょう)もとりどりに、籠に満ちけり春の色、入相(いりあい)つぐる小川辺や、棚引きわたる夕霞、楽しさ飽かぬ野辺の摘み草
鶴の声 玉岡検校作曲、作詞者不詳
軒の雨、立ち寄るかげは難波津や、芦吹く宿のしめやかに、語り明かせし可愛とは、うそか誠かその言の葉に、鶴の一声幾千代までも、末は互のとも白髪
出口の柳 初代杵屋長五郎作曲、宇治加賀椽作詞
たてまつるよ、奈良の都の八重桜、サエ けふ九重に浮かれ来て、二度の勤めは島原の、ヨ、ヨ、ヨイヤサ、出口の柳にふりわけて、恋と義理とのヨイヤサ二重帯、結ぶ契りは仇し野の、夜霧の憂き身の誰ゆえに、アアイ世渡る舟のかひもなや、寄辺定めぬあま小舟、岸にはなれて頼りなや、島かくれ行く磯千鳥
忍び寝に泣く憂き涙、顔が見たさにまたここへ、木辻の里の朝ごみに、菜種や芥子の花の色、移りにけりないたづらに、わが身はこれのうこの姿、つれなき命ながらえて、またこの頃や偲ばれん、忍ぶに辛きめせき笠、深き思いぞせつなけれ
融(とおる) 石川勾当作曲、詞:謡曲「融」より
あの籬(まがき)が島の松陰に、明日に舟を浮かべ、月宮殿の白衣の袖も、三五夜中の新月の色、千重振るや、雪を廻らす雲の袖、さすや桂の枝々に、光を花と散らす粧ひ、ここにも名に立つ白河の波の、あら面白や曲水の杯、受けたり受けたり遊舞の袖、あら面白の遊楽や、そも明月のその中に、まだ初月の宵々に、影も姿も少なきは、いかなるいはれなるらん、それは西岬に、入り日のいまだ近ければ、その影に隠さるる、たとへば月のある夜は、星の薄きがごとくなり、青陽の春の始めには、霞む夕べの遠山、眉墨の色に三日月の、影を舟にもたとへたり、また水中の遊魚は、釣り針と疑ふ、雲上の飛鳥は、弓の影とも驚く、一輪も降らず、万水も昇らず、鳥は地辺の樹に宿し、魚は月下の波に伏す、聞くとも飽かじ秋の夜の、鳥も鳴き、鐘も聞えて月もはや、影傾きて明け方の、雲となり雨となる、この光陰に誘はれて、月の都に入り給ふ粧ひ、あら名残り惜しの面影や、あら名残り惜しの面影や