昭和34年5月、『芸能新報』掲載の「久留米「林棲軒」の遺跡発見」には、次のような内容が書かれております。
住所はうきは市吉井町宮田(地図上の青点)。車では久留米市や大分自動車道、朝倉インターから、国道210号バイパスに入って大分方面へ向かいます。
ドラッグストアコスモスやゆめタウンマートを過ぎ、千年小東交差点に向かいます。
千年小東交差点から大分方面へ100mほど行くと、左手に「塚堂(つかんどう)古墳」が見えます。
その、国道を挟んで反対側に、小さな道が田んぼの方へ伸びています。
「通学路」の表示が目印です。
しばらく進むと、ブロック塀で囲まれた墓地が見えてきます。ここが林棲軒跡です。
扉が閉まっているので、中には入れません。
奥の方に、開祖以下の5基の墓碑が並んでいます。
まさに、塚本師の本の通りの光景です。右側のおにぎり型の自然石が、開祖の墓碑のようです。
左手に、丸型の2〜5世の墓碑が並んでいます。
この場所から真正面に、塚堂古墳が見えます。当時の虚無僧たちも、この光景を見ていたのでしょうか。
ちなみに、公共交通機関を利用する場合は、久留米市から西鉄バス(20番他、浮羽営業所行き)にのり、清瀬バス停で下車、北方面へ徒歩で約1kmほどで着きます。
虚無僧寺の跡地を尋ねたのは、今回が初めてです。建物や尺八などが残っていたわけではないですが、古の様子を思い浮かべながら現地に立って見るのは感慨深いものでした。久留米近郊は、邦楽関連の史跡が多いようなので、これからも色々なところを訪れて、このコーナーで紹介できたらと思います。