尺八製管師・利道道仁師について
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先日、欧州のFacebookグループ「Shakuhachi Makers Hanko」というコミュニティに参加させて頂く機会を得ました。これは、尺八製管師の焼き印の写真を持ち寄り、情報交換しようという趣旨でしたので、僕も吹料の利道道仁管の焼印や全体写真、自分の知っている範囲内での情報などを提供させて頂きました。そんななかで、欧州でも道仁管を持っておられる方がおられることも知り、楽しく交流させて頂きました。
そこで文章作成中に気付いたのですが、この道仁管も受け取って吹き始めてから、はや9年、利道さんが亡くなってからも5年以上が経過し、自分ももうすぐ40歳…と考えると、これ以上記憶が薄らいで行く前に忘備録としてホームページ、ブログ、Facebook等に詳細を記録しておく必要性を感じ、今回ペンを取った次第です。…すでに記憶が曖昧な所がありますが…
(利道道仁銘一尺八寸管。新品の頃、2012年5月)
利道道仁(1953?〜2015.3)
- 本名、則行
- 熊本県阿蘇郡高森町生まれ。
- 父君は竹刀を作る職人だったという。若かりし頃、竹材を採取していた阿蘇で「120年に一度咲き、その後は枯れる」と言われた竹の花が咲き、そして枯れてしまったため、真竹を原材料とする竹刀の制作継続が難しくなった。別の職を求めて大阪へ。
- 大阪で尺八と出会う。竹刀との「真竹」繋がりで興味を持たれたとのこと。内部構造を調べるため、試しに縦に割って観察の後接着したところ、音が出なくなってしまったという。その面白さに興味を惹かれ、尺八作りの道を志す。
- 当時、大阪は玉井竹仙師の全盛期で、沢山の弟子も抱え、大量に生産していた時期だった。利道師は玉井竹仙の門人となったわけではないが、その作りを参考にして製管技術を会得したとのこと。
- 熊本に帰り、工房を開く。当時は民謡尺八も全盛期だったため、尺寸の違う大量の尺八を必要とする民謡の尺八奏者らが購入していた模様。
- 一時期、永廣真山師の下請けもやっていたとのこと(同師の受注が莫大だった頃)。
- 吹奏の方は、阿蘇の美風会(吉田晴風系統の社中)で習ったため、琴古流の演奏を行った。ただし、人前ではあがり症のため、舞台等は辞退していた。製管は琴古管も都山管も両方行った。
- 尺八は標準管、本曲用、新曲用の三種類を制作。本曲用は標準管に比べて内径が太め、新曲用は細めとのこと。自分は本曲用をオーダーしましたが、本曲の技法には適する代わりに、細かいパッセージのプレイアビリティには劣ると念押しされました。
- 2015年3月没。享年62歳。
(5年が経過した、2017年5月の様子)
(焼印)
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