尺八譜の変体仮名

〜琴古流尺八の楽譜には、流麗な変体仮名が用いられています。慣れればスラスラと読むことができます。〜

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変体仮名とは

現在一般に使われているひらがなは一音につき一文字ですが、かつては同じ音を表すひらがなが複数あり、それらのうち現在使われなくなったものを「変体仮名」といいます。

出来上がった当初(十世紀ごろ)には、ほぼ一音一文字だったひらがなは、「女手(おんなで)」と呼ばれて女性が用いる「おしゃれ文字」として発達しました。筆で書く手紙文などが少しでも美しく見えるように文字の続き具合によっていろいろの形の文字を織り交ぜたり、文字の知識・教養を誇示したりするためです。そのため、同じ単語や固有名詞でさえ、場合によっていろいろなひらがなを混ぜて書くようになりました。逆に、「男手(おとこで)」と呼ばれ、実用本位の字として発達したカタカナは、若干の字体の変遷などはあるものの、江戸時代にはほぼ現在の字形に統一されたので、変体仮名は生まれませんでした。

江戸時代から明治にかけて印刷された大衆向けの書物や寺子屋の読本、初期の小学校の教科書などには変体仮名が用いられており、当時の人々には広く読まれていたことがわかります。寿司屋や鰻屋、そば屋の看板や暖簾などにしばしば変体仮名が用いられているのは、当時の名残でしょう。こうした看板を目にし、「全く読めない古い字だ」とか、「昔の人はよっぽど難しい字を書いていたんだな」などと思ったことはありませんか。現在の学校教育では変体仮名は扱われていませんので、こうした文字を読むことができるのは書道家や古文書などを読む学者や専門家、あるいは文字の素養のある方などに限定されるのではないでしょうか。

琴古譜と変体仮名

琴古流の譜面を見ると、最初のページや前歌・後歌のロツレ譜の横に、普段見慣れない、ニョロニョロとしたひらがなの列が目に入ると思います。この文字こそ、先程述べた変体仮名なのです。ただし、古文書や江戸時代の印刷物と比べると、一文字一文字がはっきりと分離し、形もはっきりしているのでかなり読みやすくなっています。最近の青譜(川瀬譜)などは、裏面に活字で歌詞が印刷されているので、これと見比べる習慣をつけるだけでかなり読めるようになります(私自身、そのようにして慣れていきました)。

しかし、我々現代人の目から見ると素直に読みにくい場合も多いようで、中には変体仮名を敬遠している方もいらっしゃるようです。一体、琴古譜はどのような経緯で変体仮名で表記するようになったのでしょうか。

所謂「青譜」、竹友社の川瀬譜が初版の当初から変体仮名だったのは当然として、それ以前の譜本もやはり歌詞は変体仮名で書いてあります。私が見せてもらったことのあるものは、「荒木竹翁遺稿、上原六四郎附点法 長恨歌」の譜で、一番最初に発行された琴古附点法の楽譜だそうですが、これにも流麗な変体仮名が用いられていました。それ以前のもので、竹翁直筆の楽譜(おそらく印刷されたものではなく、折手本などに直接手書きしたもの)の歌詞も変体仮名になっています。こうしたことから、おそらく二世古童荒木竹翁の時代にこのスタイルが確定したと思われ、それ以降、荒木古童、川瀬順輔がこれを継承し、当然のことながらその後の譜本(納富寿童の白譜、東京竹友社、竹盟社、その他個人筆の譜本など)に受け継がれていったと考えられます。

ちなみに全くの個人的な見解ですが、竹翁の門人には子爵、伯爵、学者など、社会的身分や知識教養の高い人物も多く、こうしたことも単に記号を書き記した楽譜としての機能だけでなく、鑑賞に堪えうる「本」としての琴古譜のあり方に影響を与えたのではないでしょうか。逆に、庶民に裾野を広げようとした都山流の譜本は、明治時代こそ変体仮名を用いていますが、世間でしだいに用いられなくなるにしたがい、かなり早い段階(明治末期や大正時代)で活字体に改訂しています。

変体仮名のつくり

1、左縦画の省略
ウ冠、ワ冠、門構え、国構え、口などのように囲むような字形は左側の縦画が省略されやすい。
例:あ、満、里、ゆ

2、点の連続
れんが、心、さんずいなどのように、点の連続する形になるものは、つなげて書かれる。
ゑ、満、須、志

3、筆順は縦が優先
楷書とは筆順が異なり、横画一画の後まず縦画を書き、残りの横画は後回しになる。
例:年、津


変体仮名一覧表

以下に主要な変体仮名の一覧表を載せておきます。上段が元の漢字、中段がくずされた仮名、下段が川瀬譜で用いられている書体の例です。なお、ご覧になればわかると思いますが、文字によっては使用される仮名に偏りがあるようです。

さらに、書いた人によって若干使われる文字の傾向が変わったり(川瀬譜には少なくとも3種類以上の文字の種類があるような気がしますが、清書担当者が複数いたということではないでしょうか)、文字によってはたった一曲の一カ所でのみ用いられていたものもありました。一応、生田の部、山田の部の譜本はほぼ全て調べたつもりですが、抜け落ちた仮名にお気づきでしたらご教示下されば幸いです。




※「ん」について
「○○せむ(ん)」(意志を表す助動詞「む (ん)」、○○しようの意)の「む」を音便にして「ん」に変化したものに対して、「舞」の字を当てる傾向にあるようです。

変体仮名についての参考文献
『変体仮名とその覚え方』板倉聖宣著、仮説社、2008
『草書のくずし方』村山臥龍著、二玄社、1994


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