検校名 | 生没・登官年 | 略歴 | 主要作品 |
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在原勾当 (ありわらこうとう) | ?〜1867 | 山陰出身。大阪で活躍。 | 松の寿、さむしろ |
生田検校 | 1656〜1715 1696登官 | 京都の人で、八橋門下の北島検校の弟子。 師の遺志を受けて生田流を創始。箏曲で活躍。 | 五段の調? |
幾山検校 (いくやまけんぎょう) | 1818?〜1890 1844登官 | 明治以降は幾山栄福と名乗る。鶴岡検校門下で、 京風手事物最後の作曲家。箏の手も自作が多い。 京都盲ア院顧問。 | 萩の露、川千鳥、 打盤、横槌 |
石川勾当 | 生没年不詳 | 19世紀前半京都で活躍。技巧的な三絃の作曲に 優れていたが、晩年は孤独だったと伝えられる。 | 新青柳、八重衣、 融(以上「三つ物」) 新娘道成寺 |
今井慶松 (いまいけいしょう) | 1871〜1947 | 山田流三代山勢松韻門下。中能島慶子の父。 東京音楽学校教官。邦楽界初の芸術院会員。 | 四季の調、御代万歳、 鶴寿千歳 |
浦崎検校 | 生没年不詳 1801登官 | 安村検校門下で、八重崎検校の師。 京風手事物の箏の手付者 | 箏手付 吾妻獅子、里の暁 深夜の月、末の契 |
菊植明琴 (きくうえめいきん) | 1835〜1913 | 1853年、勾当を受官し菊原繁寿一、1861年から 菊植明琴。菊池検校門下。菊原琴治の養父で師。 | 楠の露、菊の朝 |
菊岡検校 | 1792〜1847 1806登官 | 一山検校門下で、光崎検校と同門。 15歳で検校に登官した三絃の名手で、 箏の八重崎検校と共に京風手事物の代表者 | 礒千鳥、今小町、 梅の宿、楫枕、 桂男、けしの花、 笹の露、里の春、 園の秋、竹生島、 茶音頭、長等の春、 船の夢、ままの川、 御山獅子、夕顔など |
菊崎検校 | 生没年不詳 1795登官 | 大阪菊筋の祖の菊永検校門下。『新大成糸のしらべ』 (享和版)と歌曲時習考』(文化版)の校訂者。 | 西行桜 |
菊末勾当 | 1852?〜1892 | 山陰出身で、大阪で活躍。菊池派の菊久検校の弟子。 継山流箏曲家で、明治新曲の先駆者。 | 嵯峨の秋 |
菊塚与市 | 1846〜1909 1861勾当受官 | 菊仲繁寿一門下で明治新曲の代表者。 | 巌上の松、三つの景色 明治松竹梅 |
菊仲繁寿一 (きくなかしげじゅいち) | 1834〜1905 1861勾当受官 | 初代菊仲(1858没)と菊池検校の弟子。 野川流三味線組歌全32曲を菊原琴治に伝授。 | |
菊原琴治 (きくはらことじ) | 1878〜1944 | 菊植明琴の養子で門下。師と同門の菊仲繁寿一より 野川流三味線組歌を伝授され、全曲保存に努力。 菊原初子師の父 | 摘草、銀世界、 秋風辞 |
岸野次郎三郎 | 生没年不詳 | 通称次郎三(じろうざ)17世紀末から18世紀初頭に活躍。 京都祇園の茶屋井筒屋の主人で歌舞伎の三味線方。 地歌の芝居歌物の作曲で知られる。 | こんかい |
北沢勾当 | 生没年不詳 | 17世紀後半に活躍 | 原曲「晒」 |
北島検校 | ?〜1690 1645登官 | 八橋検校門下。34代職検校。 新手法を弟子生田検校のみに伝承後すぐに没。 | 六段の調(編曲か?) |
杵屋長五郎 | 生没年不詳 | 元禄・宝永期(1688〜1711)の歌舞伎三味線方 | 出口の柳 新道成寺(二世作曲) |
国山勾当 | 生没年不詳 | 18世紀後半に京都で活躍。 | 玉川、八千代獅子替手 六段替手 |
湖出市十朗 (こいでいちじゅうろう) | ?〜1800 | 初世吉住小三郎門下の長唄唄方。上方に長唄を普及。 1778年頃から二世湖出金四郎を名乗るがまもなく復名。 | 黒髪、鳥辺山 |
高野茂 | 1847〜1929 | 熊本の本田勾当の弟子。加藤柔子、鈴木鼓村らの師。 東京に出て華族女学校の箏曲教師となる。 | 大内山 |
楯山登 (たてやまのぼる) | 1876〜1926 | 大阪出身。楯崎検校と楯沢勾当の弟子で、楯城護の師。 明治新曲、特にツルシャン物の代表者。 和歌にも長じ、多くの自作歌詞に作曲。 作品の自由性を主張して著作権を放棄。 | 金剛石、 新巣籠、 時鳥の曲 |
玉岡検校 | 生没年不詳 1751登官 | 大阪で18世紀後半に活躍。繁太夫節を弾きはやらせた。 | 口切り、鶴の声 |
筑紫歌都子 (ちくしかつこ) | 1904〜1984 | 独学で箏曲を習得後、京都の江良千代から箏組歌を 伝承して採譜。家庭式三絃記譜法を考案。 福岡の坂本五郎のもとで採譜にも従事して 大日本家庭音楽会の楽譜発行に貢献。 | 幻の柱、高原の賦 |
千代田検校 | ?〜1862 1833登官 | 山田検校と山登検校の門下。生国近江に因む曲が多い。 | 石山源氏、竹生島 |
継橋検校 (つぐはしけんぎょう) | 生没年不詳 1732登官 | 野川検校の孫弟子の岡崎検校の弟子で、藤永検校の師。 現在は手事物に分類されている新傾向の長歌物を作曲。 | 浪花獅子、八重霞 |
継山検校 (つぐやまけんぎょう) | ?〜1697 1657登官 | 「次山」とも。八橋検校の弟子隅山検校門下で、 継山流の祖。後の富筋と菊池派につながる。 | 箏組歌 「甲曲?」等 |
寺島花野 (てらしまはなの) | 1855〜1920 | 名古屋の安藤検校門下で大阪に出て中沢検校にも師事。 胡弓の名手。名古屋盲ア学校教師。国風音楽会会長。 | 新高砂 |
富崎春昇 (とみざきしゅんしょう) | 1880〜1958 | 大阪の文楽人形遣いの息子。 富崎宗順門下で富山清琴の師。人間国宝。 戦後は東京へ出て活躍。 | 浅間、楠昔噺、 吉野太夫 |
中島雅楽之都 (なかしまうたしと) | 1896〜1979 | 大阪中筋の中平福之一や九州系の長谷幸輝の弟子。 正派生田流を称し正派邦楽会および正派音楽院を設立。 | 松籟譜 |
中島絃教 | 1830〜1904 1860登官 | 二代中島検校として1860登官。 扶桑教の仁康教会に属して神戸で活躍。 二世(1874〜1915)は菊塚与市の門から中島に転門。 宮城道雄は両者に師事。 | 生田の森 |
長瀬勝男一 (ながせまさおいち) | ?〜1894 または1907 | 江戸で活躍した平曲の大家で、礒千鳥、四季の眺、 里の暁などを山田流に移曲。 尺八と箏の手付けに優れ、荒木竹翁の外曲採譜に協力。 | |
長谷幸輝 (ながたにゆきてる) | 1843〜1920 | 九州系地歌を東京に普及させた人。 宮原検校門下の宮崎勾当に師事。三絃の改良と、 撥や胴つりの工夫で知られる。 門下に川瀬里子、木谷寿恵、福田栄香など多数 | |
中能島欣一 (なかのしまきんいち) | 1904〜1984 | 山田流四代中能島。初代松声の孫。 東京芸術大学名誉教授。人間国宝。 夫人慶子(1912〜1988)は今井慶松の娘で 五代中能島を継承。 | 赤壁賦、ひぐらし、 盤渉調、三つの断章 |
中能島検校 | 1838〜1894 1852登官 | 中能島松声(勢)とも。 山田流小名木検校門下で、初代中能島。 | 萬歳、七福神、 雨夜の月 |
西山徳茂一 (にしやまとくもいち) | 1857〜1898 | 岡山出身で本来は三絃専門。明治初年大阪に出て、 四世津山検校門下の徳永徳寿一に師事。箏曲も研究。 | 秋の言の葉 |
久村検校 | 生没年不詳 1756登官 | 京都の安村検校門下で、石塚、浦崎、河原崎らと同門。 名古屋系の祖。 | 友千鳥、四季友 |
久本玄智 (ひさもとげんち) | 1903〜1976 | 東京盲学校で初世萩岡松韻に師事。 新日本音楽運動を山田流で展開する。 門下に宮下秀冽、高野喜長ら | 光輝、三段の調、 春の恵、飛躍 |
深草検校 | 生没年不詳 1716登官 | 浅利検校門下の早崎検校の弟子で、柳川流中興の祖。 | 「晒」改曲 |
藤尾勾当 | 生没年不詳 | 名古屋で18世紀中頃に活躍した三味線の名手。 謡曲を題材とする作品が多い。 山田流の山登松齢作曲「臼の声」の原曲である 「夏(うす)衣」作曲 | 虫の音、屋島、 富士太鼓 |
藤永検校 | 生没年不詳 1757登官 | 岡崎検校の門人で、大阪で活躍。 菊筋の祖菊永検校や胡弓の政島検校らの師 | 八千代獅子 |
古川瀧斎 (ふるかわろうさい) | 1838〜1908 | 三絃は富士岡検校、箏は岸崎検校の弟子。 京都盲ア院で多くの弟子を育成。 門下に山口巌、江良千代、渡辺正之ら。 | 春重ね、面影 老の双葉 |
政島検校 | ?〜1780 1763登官 | 大阪で胡弓政島流を創始。三絃は藤永検校門下。 八千代獅子を尺八から胡弓に移曲。 師の藤永がさらに三絃化。 | 寿 |
松浦検校 | ?〜1822 1798登官 | 箏は安村検校門下の藤池検校の流れを汲み、 自らも組歌「十八公」を作曲したが廃曲。 三絃の名手で、京風手事物の初期大成者。 | 宇治巡り、深夜の月、 四季の眺、四つの民 (以上「四つ物」) 新浮船、里の暁、 末の契、玉の台、 若菜など |
松阪春栄 (まつざかはるえ) | 1854〜1920 | 京都下派の二世松崎検校門下。 古今組(春の曲、夏の曲、秋の曲、冬の曲) の手事と替手、秋の言の葉の替手も作曲。 | 楓の花、墨絵の芦 |
松崎検校 | 1824〜1871 1845登官 | 二世松崎。八重崎検校門下で、松野や光崎と同門。 松阪春栄の師で京都下派の祖。 | 箏手付 けしの花 |
松野検校 | 1802〜1871 迄生存確実 1834登官 | 取立師匠は二世松浦であるが、箏は八重崎検校門下で、 二世松崎や光崎と同門。門下に葛原勾当 | 箏手付 ままの川 |
光崎検校 | ?〜1853 迄生存確実 1821登官 | 三絃は一山検校門下で、菊岡検校と同門。 箏は八重崎検校門下。箏の高低合奏や、 段物と組歌の合体など、箏曲に新風をもたらす。 三味線組歌を含む楽譜『絃曲大榛抄』出版に協力。 数々の革新的行為に反感を買い京都を追われたという。 | 秋風の曲、五段砧、 桜川、千代の鶯、 七小町、夜々の星、 夕辺の雲 |
三橋検校 | 1693?〜1760 1736登官 | 近江国膳所藩家老の次男。 生田検校門下の倉橋検校の弟子で、安村と同門。 富山藩の江戸屋敷で江戸に生田流を広める。 | 六玉川、玉鬘 |
三ツ橋勾当 | 生没年不詳 | 18世紀末から19世紀初頭に大阪で活躍。 峰崎勾当と並ぶ大阪の三絃手事物の代表者。 一下り(三上り)の調弦を考案。 | 松竹梅、根引の松 |
峰崎勾当 | 生没年不詳 | 豊賀検校門下で、18世紀末から19世紀初頭に大阪島之内 で活躍。 1801年刊の『新大成糸の調』を菊永検校と校訂。 大阪の三絃手事物の成立と端歌の発展に寄与。 | 吾妻獅子、越後獅子、 残月、袖香炉、 花の旅、雪 |
宮城道雄 | 1894〜1956 | 兵庫県出身。初世及び二世中島絃教門下。 長谷幸輝にも師事。 1907年朝鮮に渡った後、1917年より東京に出て活躍。 東京芸術大学で教授活動。 尺八の吉田晴風と新日本音楽運動を展開し、 十七絃箏や大型胡弓を考案して普及。 洋楽器、各種和楽器、合唱を導入した大合奏曲も作曲。 | 水の変態、秋の調、 瀬音、手事、遠砧、 日蓮、春の海、比良、 春の夜、虫の武蔵野、 高麗の春、初鶯 箏手付 尾上の松、こんかい |
八重崎検校 | 1776〜1848 1848登官 | 京で活躍した箏の名手で替手式箏曲の京風手事物を完成 安村検校門下の浦崎検校の系統に属し、 門下の二世松崎以下、京生田流下派につながる。 | 箏手付 礒千鳥、今小町、 宇治巡り、越後獅子、 楫枕、桂男、西行桜 笹の露、四季の眺、 新青柳、新浮船、 園の秋、玉の台、 竹生島、茶音頭、 長等の春、七小町、 根引の松、花の旅、 舟の夢、御山獅子、 八重衣、夕顔、 四つの民、若菜 |
八橋検校 | 1614〜1685 1639登官 | 出生については諸説あるが、 現在のいわき市の出身らしいというのが定番になっている。 柳川検校と並ぶ三味線の名手として知られていたが、 江戸に出て、雅楽の流れを汲む筑紫箏を習い、 その音階を改良して、半音入りの陰音階による平調子と 雲井調子を考案。 箏組歌と段物を創始して、現行の箏曲の基礎を据えた。 | 菜蕗、梅枝、心尽、 天下太平、薄雪、雪晨 雲上、薄衣、桐壺、 須磨、四季曲、扇曲 雲井曲、乱輪舌、 六段の調、八段の調 |
山木検校 | 1800〜1854 1819登官 | 山田流二世山木。美声家として知られる。 弟子の三世山木検校は「松風」を作曲。 | 子の日の遊、夏の眺 寿競べ |
山木千賀 | 1846〜1921 | 山田流四世山木。門下に越野栄松や藤井千代賀がいる。 | 四季の遊(これやこの) |
山勢検校 | 1791〜1859 1819登官 | 山田検校門下で初世山勢。 「かざしの雪」は二世山勢の山杉検校作曲か。 | 常磐の栄? |
山勢松韻 | 1845〜1908 | 山田流二世山勢門下で、山勢家三代家元。 山勢松韻としては初世。 | おぼろ月、花の雲、 都の春 |
山田検校 | 1757〜1817 1797登官 | 山田流流祖。長谷富検校門下で、『箏曲大意抄』の著者 山田松黒の弟子。能楽師の息子。 河東節などの江戸浄瑠璃を摂取して、箏の歌曲を創始。 門下から山登、山木、山勢、小名木の各家元が生まれる。 | 小督の曲、熊野、 長恨歌、葵の上 (以上「四つ物」) 江ノ島の曲、住吉、 四季の段、八重垣、 那須野、千里の梅、 桜狩、千箱の玉章、 郭公、初音の曲 |
山登松齢 (やまとしょうれい) | 1844〜1889 | 山田流千代田検校門下で三代山登。前名伊豆本。 | 四季の遊、臼の声 |
山登万和 (やまとまんわ) | 1853〜1903 1869登官 | 山田流二世山勢検校門下で、山登検校万和一として登官。 音楽取調掛に出仕協力。 | 近江八景、松上の鶴、 須磨の嵐 |
吉沢検校 | 1808?〜1872 1834登官 | 父の初世吉沢検校を師とし、 中村検校にも師事して名古屋で活躍。国学にも通じた。 小松景和は孫弟子。雅楽の影響下に古今調子を考案。 三味線に従属しない新たな箏曲の道をひらく。 | 千鳥の曲、 春の曲、夏の曲、 秋の曲、冬の曲 (以上「古今組」) |